「カエルとサソリ」の寓話から考える「デジタルとマーケティング」

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有能で確かなデータを持っているマーケティング担当者でも、その会社の方針やCEOが変われば解雇されてしまうという事実は、欧米ではあまり珍しいことではありません。このような事実に直面したあるマーケット担当者は、「まるでカエルとサソリの寓話のようだ」と口にしました。

「カエルとサソリ」の寓話とは?

ある日、砂漠のサソリの頭上に1つの雨粒が落ち、いくつもいくつも降り積もると、たちまち乾いた砂漠は河になりました。泳ぐことのできないサソリは、絶望したように、ぼんやりとそれを見つめていました。すると、その視界の中を一匹のカエルが横切りました。サソリは叫びます。「こっちに来て、私を背中に乗せて、高台に連れて行ってくれませんか?」それを聞いたカエルは考えます。同情の気持ちはありましたが、サソリの尾尻はカエルの背中を指すのに、十分な長さがあったからです。迷っているカエルに、サソリはこう言います。「私があなたを刺すのは、ナンセンスです。なぜなら、河を渡る途中であなたが死んでしまったら、泳げない私も死んでしまうからです」たしかにサソリの言う通りだと納得したカエルは、サソリを背中に乗せてあげることにしました。河の中腹を泳いていると、ふいにカエルは背中に鈍痛を感じました。死に至るまでの短くも長い時間に、カエルは「なぜ?」と、サソリに問いました。サソリは首をすくめて答えます。「It’s just in my nature. これが私の性なのです」

どちらが「サソリ」でどちらが「カエル」?

マーケティング担当者を解雇する企業が「サソリ」なのか、企業に針のような冷酷なデータを突きつけるマーケティング担当者が「サソリ」なのか、それは解釈の仕方によっても分かれます。しかし「サソリ」と「カエル」のように共倒れしてしまっては、意味がありません。同じようなことが、「マーケティング担当者」と「デジタル」の間にも言えます。

なんのためのデジタルマーケティング?

世界のトップマーケテイング担当者50人を対象にしたアンケートでは、デジタルマーケティングに関して下記のような結果が得られています。 ・デジタル広告の価値が見いだせない 45%・デジタル広告の効果を実感していない 75%・デジタル広告に投資しすぎている 72% しかし、この意見とは裏腹に、来年さらにデジタル広告に投資するだろうと考えているのは、66%にも上りました。マーケティングの教授Mark Ritson氏は、これは非常に不合理な結果だと述べています。人は単純に古いものよりも、新しいものを好むという傾向がありますが、従来のメディアよりもデジタルを重要視するというのは、まさにこの傾向といえるでしょう。もちろん、デジタルマーケティングは、新しい方法という意味で未知の部分も多く、伸び代を期待した上でのデータであることは間違いありません。しかし、何の戦略もなく時代の流れだからと、デジタルに投資しているのなら、サソリを信用したカエルのように、その毒針に刺されてしまうこともあり得ます。Mark Ritson氏は、この10年でマーケティング担当者の多くが水に溺れてしまうのではないかと、懸念しています。従来のメディアを軽視しすぎない、バランスの取れたニュートラルなマーケティングをと、試みてはいかがでしょうか。

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