海外で有名な歴史上の偉人/世界で活躍した日本人ベスト5
日本人のパスポート保有率は20%程度で、先進国では最低レベルだと言われています。その反面、日本のパスポートは持っているだけで信頼される、世界で最もパワフルなパスポートだも言われています。
たしかに現在でも海外旅行に行ったり、ましてやビジネスで海外進出したりというのは簡単なことではありません。しかし日本のパスポートが世界最強といわれるようになったのには、海外での日本人の犯罪率の低さや、過去に活躍した日本人の功績があったはずです。
そこでこの記事ではビジネスで海外進出するのなら頭の片隅に置いておきたい、海外で活躍した日本の偉人を紹介します。
最初に海外に渡った日本人は誰?
最初に海外に渡った人物の名前は定かではありません。しかし金印を授かったことで知られる倭奴国王(わのなこくおう)が紀元前1世紀ごろの人であるため、その頃には既に大陸との往来がありました。倭国王の師升(すいしょう)が106年に中国の皇帝に奴隷を献上したという記述が残っており、どうやら奴隷として海外に渡った日本人もいたようです。ちなみにこれが日本人の個人名が記されている、現存では最古の文献です。
これ以降も遣隋使や遣唐使、最澄や空海など、歴史のかなり早い時期に意外にも多くの日本人が海外に渡っています。
歴史上、海外で一番活躍した日本人とは?
一番活躍した人物を決めるのは難しいですが、様々なランキングを元に人気のある偉人たちを紹介していきます。
1.日本で最初にアメリカに渡ったジョン万次郎
独自の手法で英語を学んだことで有名なジョン万次郎。アメリカに渡った理由は偶然だったかもしれませんが、その後の功績が高く評価されています。
1841年に故郷の土佐沖の海で遭難したジョン万次郎と仲間達は、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されます。しかし鎖国中であったため日本上陸が叶わず、ハワイに連れていかれます。他の仲間達はそこで降りたにも関わらず、若くて好奇心旺盛だったジョン万次郎だけはアメリカ本土までついていきました。その後、船長ホイットフィールドの養子となりマサチューセッツ州フェアヘブンで暮らしながら、学校で英語、数学、測量、航海術、造船技術を学びます。
紆余曲折あって1852年にようやく生まれ故郷の土佐に帰ると、藩主より名字帯刀を許されます。1853年のペリー来航の際には通訳としても活躍しています。その後、万延遣米使節の通訳として再度アメリカに渡った際にホイットフィールドに再開し、持っていた日本刀を贈呈します。この日本刀は第二次世界大戦中でさえも、米国内の図書館に展示されていたそうです。
2.日本人唯一のブループラーク、夏目漱石
ブループラーク(blue plaque)とは、イギリス国内で著名人が居住した建物に付けられる青色の丸い看板です。ロンドンには約900個のブループラークがあり、チャップリンやジョン・レノンなど名だたる著名人の名前を見つけることができます。
その中の一つに夏目漱石が暮らしていた家があります。英語の教師だった夏目漱石は1900-02年の2年間ロンドンに留学しており、実は小説家として活躍したのは帰国後でした。ロンドンでは精神疾患を患ってしまいましたが、これを含めた留学経験が後の執筆活動に生かされたとも言われています。
3.ガーナの人々を黄熱病から守ろうとした野口英世
夏目漱石と同じくお札になったためか、海外で活躍した偉人というと真っ先に野口英世を思い浮かべる人も多いかもしれません。野口英世は日本で医師免許を取得した後もアメリカで学びたいという夢を持ち続け、1900年にペンシルベニア大学医学部の助手の職を手に入れます。1905年にロックフェラー医学研究所に移籍すると数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に3度名前が挙がるほどの功績を残しています。
しかし多くの功績の中で最も有名なのは、イギリス領ガーナで行った黄熱病の研究ではないでしょうか。黄熱病に苦しむ人々を救いたいという志を持ったまま、自分自身が感染して亡くなっているため、その想いに心打たれる人は後を絶ちません。
4.6000人のユダヤ人を救った杉原千畝
リトアニアのカウナス領事代理だった杉原千畝は、ヨーロッパ各地から逃れてきたユダヤ人たちが出国できるよう、日本の外務省の指示を無視して独断でビザを発給し続けました。その責任をとって1947年に外務省を退職しましたが、自分の危険を省みない行動は海外の人達からも高く評価されています。
公に功績が認められたのは杉原千畝が亡くなって数年後の1991年のことでした。当時の外務政務次官・鈴木宗男氏が杉原千畝の行動を評価したため、生誕100周年に当たる2000年に当時の外務相・河野洋平氏が正式に遺族に謝罪しました。現在では多くのユダヤ人が暮らすイスラエルや、杉原千畝が滞在したリトアニアに記念碑が建てられています。
5.日本で初めてヨーロッパに使節団を派遣した伊達政宗
伊達政宗は最も人気のある武将の一人ですが、実は海外との外交でも活躍しています。全国の大名の中で唯一、徳川家康から外交権を借りる承認を得て、1613年にローマとフェリペ三世の植民地であったメキシコに慶長遣欧使節約180人を派遣しています。これが日本史上初のヨーロッパへ政治外交使節の派遣でした。また家臣の支倉常長は日本史上初めて、大西洋と太平洋を横断した人物になります。
伊達政宗は海外でも一部の人には名前が知られていて、その理由は黒塗りの兜がスターウォーズのダースベイダーのモデルになったと言われているからです。国内外の様々な人々にインスピレーションを与える人物であることは確かです。
歴史上の人物に勇気をもらってはいかがでしょう?
コロナ禍でますます遠くなってしまったように感じる海外ですが、飛行機も辞書もなかったような時代でさえ海外で活躍した日本人がいると思うと、海外でビジネスをする勇気をもらえるような気がします。
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