日本が植民地にならなかった5つの理由 なぜ?簡単に説明

日本が植民地にならなかった理由

以前の記事(文明は文化を破壊するのか?グローバル化と多様性)では、文明の高い国に植民地化されることにより、その地域にあった文化さえも奪われてしまうことについて考えました。日本が海外の人を魅了するような独自の文化を保ち続けている理由の一つは、もしかしたら一度も植民地化されていないからなのかもしれません。

世界的に見ると、有色人種の国で一度も植民地化されていない国家は大変珍しいようです。アジアでは日本の他にタイ、ネパール、ブータンしかないと言われています。それらの国が植民地化されなかった理由を見てみると、タイはフランスとイギリスと上手く外交したため、ネパールとブータンは欧米諸国にとって植民地化するメリットがなかったためなどの説があります。しかし日本に関しては、このように一言で片づけられる理由ではないようです。

日本が植民地化される危機は何回あった?

歴史上のどの事件を植民地化される危機と捉えるかによって異なるため、何回あったかを言及することは難しいですが3回または4回という説が一般的のようです。

その1回目が元寇(3回の説には含まれていません)、2回目は大航海時代(日本の戦国時代)、3回目は幕末~明治維新頃、4回目は第二次世界大戦後です。これらの危機を回避できた理由を考えると、植民地されなかった理由だけではなく日本の強みも見えてきます。

日本が植民地にならなかった理由

1. 地理的な条件

蒙古襲来を神風が防いでくれたという定説は有名ですが、大国と陸続きでないことが植民地化されなかった大きな要因であるのは確かです。

大航海時代においても日本はヨーロッパから遠い上、既に植民地化されていた東南アジアからもそれなりに遠いので、欧米諸国にとっては征服軍を送るのも容易ではありません。また、日本沿岸の海は交通の要所ではなかったため、費用対効果を考えても侵略するメリットがありませんでした。

反対に幕末にペリーが開国を要求してきた目的はアメリカの貿易相手国だった中国へ行く際に、日本の港で物資を補給できると都合が良かったからです。その証拠に日米友好条約で下田と函館を開港させると、それ以上の要求はしてきませんでした。いずれにしてもアメリカが台頭するまで、日本の海や港は欧米諸国にとってあまり魅力的ではなかったようです。(※アメリカは幕末に日本を植民地化したいと考えていたかもしれませんが、出来なかった理由は文末の「おまけ」で紹介しています)

2. 高度な武装

幕末には、薩英戦争においてイギリスが日本とは比べ物にならない軍事力を持っていると認めざるを得ず、ペリー来航の際にも黒船の軍備の高さに怯えることになりました。

それでも大航海時代にまで遡ると、武士の存在がヨーロッパ諸国からの侵略を防いでいた一面があったようです。武士は当時の日本国民の約3%を占めており、腰に長い刀を挿して歩く姿は、来日したヨーロッパ人を驚かせるのに十分だったようです。その上、日々訓練を積んでいる姿まで目の当たりにすると、とても征服可能な国家には思えなかったのでしょう。

3.キリスト教を禁止した

南米やフィリピンの例を見ると分かるように、スペインやポルトガルは他国を侵略する前にキリスト教を布教しています。これは国民や権力者の思想を宗教によってコントロールすることにより、植民地化する際に統治しやすい地域にする目的があったと考えられます。豊臣秀吉はおそらくこの陰謀を見抜いてバテレン禁止令を出し、江戸幕府は一度それを緩和しますが、結局1612年にキリスト教禁止令を出しています。

4.高い技術力

1543年に種子島に漂着したポルトガル人から2丁の火縄銃を購入したことで初めて銃を手に入れた日本人ですが、その後すぐに火縄銃の国内製造に成功しました。その後たった十年で全国に普及させることにも成功しています。

植民地支配の手口として、隣接する仲の悪い国同士の片方に肩入れして武器の提供をし、両国に戦争させるというものがあります。武器の提供があった国家は戦争に勝ちますが、新しく誕生した政権はあらゆる面において本国に依存する羽目になり、植民地化してしまいます。日本の場合そもそも陸上で隣接する国がない上、火縄銃のような当時の高度な武器をあっという間に国内製造できてしまったため、この方法での支配も不可能だと判断されたようです。

5.文化・教育レベルの高さ

江戸時代の日本の識字率は世界一だったと言われています。武士においてはほぼ100%、全国平均は約60%でした。江戸の子ども達は寺子屋で読み書きや演算を習うことで良い奉公先に行くことが出来たため、率先して勉学に励んでいたようです。このため一般大衆でさえ教育レベルが高かったのです。日本の教育レベルの高さにはザビエルやペリーも驚いたと、文献にも書かれています。

教養の高い民衆が暮らす国は植民地化しても統治が難しいと言われており、その理由は仮に武力で植民地化に成功しても民衆の反乱が起こる可能性が高いからです。

明治時代以降に西洋の文明を目を見張る速さで吸収した理由も、日本人が既に教育の基盤を持っていたからだという説があります。その際、服装や建物などの見た目が西洋化したため日本文化が消えることが懸念されましたが、日本人の思考のベースに儒教や武士道があったため、文化が完全に損なわれることもなかったのでしょう。

おまけ.運とタイミング

元々フビライハンは日本を侵略しようとは思っていなかったのに、鎌倉幕府がその意図を読み違えて無礼な返答をしたことが発端となり、元寇に至ったという説があります。鎌倉武士は強かったので神風がなくても蒙古襲来に打ち勝てただろうという説もありますが、幕府の外交の失敗をカバーしたのはやはりタイミングの良い台風でした。

戦国時代にはスペインは日本の植民地化を検討していたのに、先に日本と外交を始めたオランダやポルトガルがそれを豊臣秀吉に密告したという説もあります。当時のヨーロッパ諸国は決してお互いに仲が良かった訳ではないので、この可能性もゼロではないでしょう。そうだとすれば、最初に日本に流れ着いたのがスペインでなくて運が良かったと言えます。

幕末に生麦事件を発端に起きた薩英戦争では、イギリスの圧倒的な軍事力を前に薩摩藩が運よく健闘したため、後の和平交渉で、それほど不利な条件を突きつけられることがありませんでした。

ペリーの来航も大きな危機でしたが、ちょうど明治維新の頃にアメリカの南北戦争が起こったため、自国の情勢が不安定なアメリカは日本の植民地化に手が回りませんでした。第二次世界大戦前にもアメリカは日本の植民地化を企んでいたようですが、大戦後は一時的な占領(占領と植民地化は異なります)で済みました。この頃は既に、帝国主義や植民地化が過去の過ちだったと人々が認め始めていたからです。

日本の強みが見えるかも?

日本が植民地にならなかったのには、このように複合的な要因があります。それらの多くは今の日本にも引き継がれており、それらはグローバル化する社会において強みになりそうです。

弊社では日本企業の海外進出のサポートを承っております。ご興味のある方は気軽にお問い合わせください。

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