サステナブルやSDGは怪しい!と感じる根本的な理由

サステナブル SDGs 怪しい

最近よく聞くようになったサステナブルは「持続可能な」という意味の外来語で、SDGsは「Sustainable Development Goals(サステナブル・ディベロップメント・ゴールズ)」の頭文字を取った略称、すなわち「持続可能な開発目標」という意味です。どちらも簡単にまとめるなら、「地球上の全ての人が、将来的にずっと幸せに暮らせるように、みんなで環境問題や人権問題に真剣に取り組みましょう」という意味合いになります。

サステナブルやSDGsの意味は頭で理解できても、「なんだか怪しい!」「なんとなく他人事」という声もよく耳にします。今まで聞いたことのなかった外来語や略称をいきなり知らない人に「これがあなたの目標です」と言われても、「そんなことをして意味あるの?」と反感を持ちたくなるのも仕方がないかもしれしれません。

また、商業的な目的で利用しているのでは?という疑問の声があるのも事実です。たしかにCO2の排出量を減らしたいのなら石油の消費量を減らすべきで、石油の消費を減らすには産油量を減らしてしまえば話が早いのですが、SDGsを掲げている産油国がそれをしない地点で矛盾しているように思われます。

企業や国家レベルのことに個人の意見を反映させるのは簡単ではありませんが、個人レベルで考えた時にもサステナブルやSDGsがあまり重要に思えないのには、何か別の理由がありそうです。ここではその理由について考えてきます。

サステナブルとSDGsの意味については下記もご覧ください。

 サステナブルとは【わかりやすく簡単に】エコとの違い&使い方

 SDGsの意味とは?【17の目標&ロゴと問題点】

都市部の人は自然が身近にない?

「バカの壁」の著者で解剖学者の養老孟司氏の著書には、下記のような一節があります。

脳で考えたものを具体的に形にしたものが都市です。自然はその反対側に位置しています。

ここから分かるのは、自然とは人間が意図的に作ったもの以外を指すということです。自然を作り替えて都市化させてきた人間にとって、今更「自然を守りましょう」というのはなんとなく腑に落ちないというのも頷けます。

この法則にしたがうと、都会のオアシスのような公園であったとしても人間が作ったものである限り、完全な自然と呼ぶことはできません。したがって、都市に住む人々が日常的に自然を感じる機会は非常に少ないと言えます。自然を身近に感じることができない人が、サステナブルとSDGsを身近に感じることができないのは当然のようにも思われます。

人間も持続するものの一つと捉えるなら?

冒頭でもお伝えしたように、サステナブルは「持続可能な」という意味ですが、英語のサステイン(sustain)は「持続させる、維持する」という意味を持ちます。

養老孟司氏がインタビューや講演などでも繰り返し述べている事柄の中に「田んぼや海は未来の自分」というものがあります。これは、田畑や海で採れた食物が将来的に人間の身体を作っていくということを意味しています。また、人間を含めた動物はその生涯を終えると土に還るため、未来の自分は田んぼや海であるかもしれません。

このように考えると人間も自然の一部で、持続される現象の中のひとつであることがわかります。したがって、環境破壊によって自然が持続されないなら、自分自身を持続することが難しくなります。食物を育てる田畑がなくなり、海が汚れて海産物が採れなくなれば、人間の生活が維持できなくなるのは当然です。

サステナブルを他人事と感じないために

人間が自然から切り離された存在ではないということが理屈では分かっても、まだサステナブルやSDsがまだ他人事に思えるという場合には、自然を体験するのが一番の解決策になるかもしれません。

青く透き通る海を見て「ゴミを捨ててはいけない」と感じるのは、誰でも同じなのではないでしょうか。それは、理屈ではなく感覚です。海や山などの自然に触れ、その美しさやそこで体験できることの貴重さが分かれば、環境を破壊するような行為をしないようにと意識が向くはずです。

将来的に環境破壊が起こらないためには、たまには子どもたちを自然の中で遊ばせるというのも有効かもしれません。

サステナブルって何?と考えるよりも

サステナブルという言葉を理解したり、使い方を知ったりするのはもちろん大切ですが、それよりも大切なのは自分にできることを考えて行動することです。あまり難しく考えずに、ただ自然を感じる場所に出かけてみるのも悪くないかもしれません。

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